木炭紙にインク – 970 × 645 mm

1997年の「ジャスパー・ジョーンズ展」のパンフレットの中で

 Jasper Johnsは、「ある物を目にしたことがきっかけとなって、何か別の物をつくり出したいという意欲に駆れられることがある。」(抜粋)と曰っていて、この意見は全くもってその通りで、風景を見てその風景の絵を描きたいと思ったその背後には、過去に目にした絵の感動が制作の発端の原動力になっている。といったこともありますよね。
知性の塊のようなジャスパー・ジョーンズの1982年の名文を全文載せるのはしゃくにさわるので載せませんが 笑
 何故私はアーティストにとってさも当然なこの話に拘るのかと、ずっと気になっていたのですが、最近になって、あ、このことか!と思い出したんですね。
その97年のジョーンズ展より何年か前の事だったと思うのですが、仕事の納品帰りにとある銀座の名物女主人のいる画廊に立ち寄りまして、そこでジョーンズの版画を拝見していたら、「あんたにいいもの見せてあげるわ」とジョーンズの6号くらいの小さな油絵を奥から持ってきて床にじかに置いて、壁に立て掛けてみせてくれたのですね。「この作品は展示出来ないのよ」と、意味ありげですがお値段は8桁!
しばらくはみとれるほどのいい絵で、女主人のお話では、ジョーンズいわく自分はピカソを尊敬していてうんぬん。(あとの女主人のお話は忘れました)そうかピカソか。
ジョーンズの名文が続きます「また、絵と絵の間には共通点が多く、制作という作業そのものが他の絵を思い出すきっかけになり得る」
この小さなジョーンズの絵のことを思い出したくて拘っていたんですね。
下世話な話ですが、10年20年とこの小さな絵を持っていたら、下手に株なぞに手を出すより確実に儲かると思われ 笑。考えてみたら、他にも絵を所有したら将来が待ち遠しい、いい話があったのですよ。(こっちのこだわりのほうが強かったりして)
 誤解しないでくださいね。お婆さんは若い男性に優しいんですね。多分若い時の恋人かご亭主とのやり取りを思い出し、あの時はこうして助言しておけば良かった、とか悔むこともあったのでしょう。と、こんな邪推をするより私の健忘症が問題だ・・・・・
まだジョーンズの名文が続きます「この他の絵という亡霊にとり憑かれたら、とにかくその名をはっきりと特定するか、もしくは、描いてみるしかその呪縛から逃れる手だてはない」

今でも、彼は制作中の作品に他の絵の亡霊が取り憑くことがあるのでしょうか?

 今となっては、ジョーンズの小さな油絵は何が描かれていたかは忘れましたが、満開の、零れるような桜の花を前にした時のような感動は忘れません。