木炭紙にインク – 970 × 645 mm
ヒリヤード・アンサンブル
「hilliard LIVE 2 For Ockeghem」
Hilliard Ensembleはイギリスの男性4人の声楽アンサンブルでして、おもに中世ルネッサンス期の世俗曲、宗教曲を美声と抜群の歌唱力で異次元の世界へと誘います。私は洗礼はしていませんし、教会にも行きませんが、Hilliard Ensembleの演奏で聞くオケゲムの高潔な宗教音楽を聴くと、私みたいな薄汚れたじいさんも、生まれたときはこんなだったよな、とリセットした様な気がします。
10年くらい前だったかな、バイオリンタレントの方が出産のため暫くお休みしますと、深夜のバラエティ番組でバッハのG線上のアリアを弾いたのですが、失礼ながらあまりに下卑た演奏で、後ろから加トちゃんが「チョットだけよ」と出て来るのではないかと、笑っちゃいました。
G線上のアリア(正しくは管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068の第2曲 アリアの編曲ですね)は、バッハが天国を想起して、天の雲の中を散策している音楽でしょう?誤解も恥ずかしい(造語)です。
これはバイオリ二ストの問題ではなくて、日本の音楽教育の問題ではないですかね。日本の音楽教育を受けた後、北欧のとある国の音楽学校に留学すると、今まで日本で習ったことを全て切り捨てさせ、一からやり直しさせるのが面倒と、とある国の教授が嘆いていると聞いたことがあります。美術大学もアヤシイですね。お若い方、進学は熟考してください。私は頭が悪く貧乏で、しかも学校が嫌いだったので美術学校へいかなかったのですが、少なくとも、孤独を突き通して生きて来て良かったと思っています。
2010年10月28日、すみだトリフォニーホール「パウル・バドゥラ=スコダ」のピアノリサイタルの時、左隣にいかにもピアノを習っている少女と母親らしき人がおりました。リサイタルは高齢のためか、ミスタッチの目立った演奏でしたが、数多くのコンサートをこなし、多大な後進の教育に携わったウィーンの伝統を継承すると言われている老ピアニストの演奏は、終演後も深い感銘が残りました。コンサートに来ていた少女は、今どうしているかな?と思い出しました。