木炭紙にインク – 970 × 645 mm

最初の展覧会を

武蔵美の日本画の学生さん3人とした時に、見に来た同級生の方に、どうしてこんな絵を描くの?と質問があり、当時は描いた絵に度外れな題名をつけていて、題名のいわれをタジタジと答えていたことがありました。
思い返してみて、何故なんだろうと30年以上もたってから考えると、例えば、私の生まれ育ったところは、東京の下町、俗に言う0メートル地帯の工場街なんですが、蓋のない大きなドブ川は工場から流れ出る奇妙な色の排水と生活下水で汚れていて、ずっと真っ黒なドブ面を擬視すると黒い藻が揺れ流れているように見えるのです。友人と二人縁に座っていて、何故だか足先からドブ川へ落ちました 。都合三度落ちました。(一度は死にかけたんですよ)それだけ当時の私には魅力的だったんでしょうか 笑。又、近辺の工場の建物の存在感が半端なかったです。工場から排出する煤塵と煤煙で巨大な工場が暗黒色になり、異様なマス(質量)を発散させていました。
私の原自然体験はこうしたもので、風光明媚とか、何処までも透けて見える海、なんてのは大人になってから体験しました。小学校の朝礼の時の秋の空の蒼さは美しかったなぁ。朝礼の時は空ばかり見つめていました。
その後定時制高校時代に就職した会社が版下屋さんでして、烏口に墨汁を使用します。筆洗に落ち広がる墨汁を見詰めていて、そうして、そのあたりで点火したんですね 笑