木炭紙にインク+アクリル絵具 – 330 × 500 mm

Dorothy Moore 「Japan Four 2001 渋谷 ON AIR WEST」

世間には、ブログを備忘録として書き留める方がいらしていて、もっともな良案だと思いますが、私の場合はほぼ完全に忘れてしまっていて 笑。それがふと先日、かつての強烈な体験を思い出してしまい、今度忘れたら完全に忘れるかもしれないので、ここに書き込みます。

私はR&Bには疎いのですが、古くからの友人のO君がR&Bに傾倒していて、O君とその友人の広告代理店の方の御尽力にもあやかり、上記のDorothy Moore Japan Four 2001コンサートの最前列のど真ん中の席を、ありがたくも用意していただきました。
Dorothy Mooreは1976年の「Misty Blue」の大ヒットで有名な方らしいのですが、当時の私は全く存じあげず、会場は500人辺りのホールで、渋谷のカッコいいお兄さんとお姉さんで満席でした。その中で、多分、私一人が録音も含めドロシー・ムーア初聴きだったのではないかと思います。底意地の悪い私は、かつての大ヒット歌手が今どこまで歌えるのか?なんちゃって気分で最前席に陣取ったわけです。

一曲目の歌から、参りました!!
見事な声量、音程など微塵も狂いなく、会場は大盛り上がりです。観客のお兄さんお姉さんはわかってらっしゃる。最高の観客ですね。ドロシーを始め、バックバンドの皆さんは最高のパフォーマンスのために日本にいらしたんですね。長年の日々の研鑽の賜物ですね。バックバンドのゆるい演奏はたまらない快感で、今の年齢で聴きたかったです。それに比べたら、だらし無い私ときたことか、反省しました。
コンサートの半ばでドロシーは客席に降りてきてスピーチがあったのですが、英語なのでまったくわかりませんでしたが、最前席の私の前に降りていらしたので、素敵なコロンの香りがして、手を伸ばせば触れられる距離です。
神々しく、強烈なオーラに仰け反り、私の体に電流が走りました!!!
断言します。その日の地球上のコンサートの中で最高のコンサートだったのではないかと。

長くなりますが、続きがあります。コンサート終了後、興奮冷めやらない私達、O君と代理店の方とその方の奥様と私4人で一杯やったわけですが、盛り上がる話の内容はその日のドロシーの歌の素晴らしさがメインでしたが、代理店の方の奥様の経歴は一風変わっていて、銀座のクラブのNO.1だった方で、仕事柄様々な職種の方の栄枯盛衰をみてきた方なので、やや人生相談風な話に移行し、当然私の行く末はどんなんだろう、尋ねてみたいと話が進んだ所で、夜中も忙しい代理店の方の携帯電話が鳴り、急いで出なければならない用事との事で、慌ててご夫婦お二人が席を立つ時、私の左隣に座っていた奥様の右膝が私の左膝に触れたのですが、その刹那、私の体に電流が走ったのです 笑
これは決してセクシャルな反応ではなく、
またこの人と会いたい 笑

私はこれか、銀座のクラブでNO.1になるには、この能力が必要なのか、この能力が無い女性はNO.1にはなれないのではないか。と、ごく普通の容姿で、話術もたいして秀でていない奥様の後ろ姿を呆然とみつめていました。
電流の一夜でした。

その頃の私は、貧乏暇なしだったので、検証のための銀座のクラブ通いは出来ませんでした。