木炭紙にインク+アクリル絵具 – 970 × 645 mm
岸 真理子・モリア「クートラスの思い出」
Mariko Molia Kishi「Souvenir de Coutelas」
クートラスの作品は、私の記憶が確かであれば、1982年のギャラリー上田の展覧会で初めて拝見しました。大変感銘を受けた展覧会でしたが、会場は地下(半地下だったか)で、どちらかというと薄暗く上品で、場所柄もあるのか、銀座の並木通りに共通する高級感のある内装で、むしろ明るい、陽光が入るシンプルな空間の方が作品が映えるのではないか、との印象でした。当時の私は20代で若く、フリーとして独立し、未来に夢と希望がある青年でしたし(本当か)、おバカな兄ちゃんでしたので、今ひとつ記憶にずっと残るまでの強烈な感動はなかったです。暫くしたら忘れちゃいました。
その後、2004年だったか、仕事の打ち合わせの帰りにいつもと道順の違う銀座の裏道へふと入り込み、道端に出ているギャラリーの案内看板を見て、良さそうな展覧会だなと。
クートラスに呼ばれたんですね 笑
そのころの私は夢も希望も忘却の彼方へ吹き飛んでいましたから 笑。魅入られるように、特にカルト(ボール紙を6センチ×12センチに切ったカード状の絵)を中心に拝見しました。
クートラスの仕事は夢も希望も忘却の彼方へ吹き飛んでこそ、分かる芸術なんですね。
岸 真理子・モリアさんの「クートラスの思い出」は、何年も前からアマゾンの欲しいものリストに入っていて、流石に絶版になったら困るのでポチしましたが、久々に重量感のある書物を読み終えたといった感じです。
拝読中、大好きな金子光晴さんの著書「ねむれ巴里」の中の出来事の描写を思い出し、フラッシュバックしながら重ね合わせて読んでいきました。
岸さんの書籍の話は1977年頃。ねむれ巴里は1930年代。2冊の書籍の内容は類いした話が多くあり、ずっとフランス人は恋愛が自由で生き生きして 笑。夢のパリ、すてきなフランス人!
ここでクートラスの談話、「仕事っていうのは出会う瞬間まで準備をする事なんだよ。そしてね、そのとき何かがやってくると、捕まえられる。それまでが長いのさ。来るときも来ないときもある」
そのとおりですね。あらためて、安心した。
ところで、岸さんはクートラスの作品を自由に出来る訳なんですから、前○さんのような方が東京に素敵なクートラス美術館を無償で建ててくれないでしょうか。AIを駆使して、500点くらいのカルトを目の高さに20段位ズラーと配置して、日替わりで位置を変えたり、同じ絵柄のカルトを並べて違いを楽しんだり、外光の変化に呼応して照明を大胆に変化させたり。
日本には海外から沢山の方がお見えになっているのですから、知る人ぞ知る名所になりませんかね。
シメは栄養過剰でまるまると太ったおじさんの夢想でした。