木炭紙にインク – 970 × 645 mm

ガブリエル・フォーレ ピアノ五重奏曲 第2番

 ガブリエル・フォーレの晩年の傑作、ピアノ五重奏曲 第2番ハ短調は、1970年エラート録音のジャン・ユボー & ヴィア・ノヴァ弦楽四重奏団の廉価版で聴いていました。(当時、他にCDが無かったと思います)日本盤ということで手放してしまい、ハイペリオン録音のAnthony Marwood & DOMUS盤を購入し聴いていましたが、何か、もごもごと奥で鳴っていて、今ひとつ納得出来なく、Quatuor Ébène & Nicholas Angelich盤で聴いていました。
こちらもジャン・ユボーと同じくグイグイと一本調子な演奏で、フォーレ解釈は皆こんなものかと、これも納得出来ていませんでしたが、先日、エーワイ電子さんの「データ専用USBケーブル汎用版」をPCオーディオ用パソコンとDACの間に、「オーディオ機器高音質化用USB互換アナログトランス電源」を外付けハードディスクとパソコンの間にセットしてAnthony Marwood +DOMUS盤を聴いたところ、聴こえてきました、微妙で繊細な音楽の表情と陰影が。多彩なテクニックを使い譜面を深く読み込んでいます。今までと印象の違う高次元な演奏に脱帽しました。
若い時のフォーレの音楽と晩年のフォーレの音楽は別なもので、後年は深い抽象の世界へ入っていき、昔、とあるエッセイでフォーレのバイオリンソナタは第2番より第1番のほうが優れていると言っていた作家がいましたが、そうかなぁ、第2番のほうが断然優れています。晩年のフォーレはある種の断崖に立っている心境があります。と偉そうなことを言いますが、私も年齢を重ねてきている間、何度か絶壁に立ち尽くすことがあったので、少々会得してきました。
それましたので話を戻します。元々は我が家のチープなオーディオ装置が元凶と考えますが、ノイズに埋もれていたデータが見えただけでこのように音楽の感動が出現するので、音楽の再生装置は軽くみると怖いなと思いました。ハイペリオンの録音は細部を際立たせないタイプの録音とはいえ、迂闊に演奏の良し悪しの判断は出来ないですね。因みに、私はエーワイ電子さんのまわし者でも関係者でもありません。笑
絵画と関係の無い話なのですが、絵画も今回のフォーレの音楽体験のようにはっきりしない陰影とはっきりする陰影が必要と思います。加えて望むのは、断崖に立つ姿勢ですね。私の生活にとって音楽は大事なことなので、今後も音楽とセットでオーディオの事も書きます。(マニアックなオーディオネタでごめんなさい🙏)